Skip to main content

「フジ『嫌われる勇気』への日本アドラー心理学会の抗議」に概ね同意

独学

フジテレビが放送するドラマ『嫌われる勇気』に対して、日本アドラー心理学会が抗議文を出しました。

日本アドラー心理学会による抗議文

その内容には、概ね同意しています。

私もアドラー心理学を学ぶ一人として、思うところがあるので書かずにはいられなくなりました。

7年前からアドラー心理学を独学してきた者として…

私は2010年頃からアドラーを知り、独学で学んできました。

とはいえ、所詮は独学ですから素人に過ぎません。

だからこそ、少しでも学びのヒントがあればと思い、ドラマは初回から見ていました。

しかし、まだこの程度の学びしかない私から見てもドラマの内容は本当にひどいものです。

見るたびに「セリフが上滑りしている…」と感じていました。

ドラマは「嫌われる勇気」を勘違いしている

ドラマの主人公は作中で「ナチュラルボーンアドラー」などと呼ばれています。

生まれつきアドラー心理学を体現しているとのこと。

しかし、決してアドラー心理学の実践者などではありません。

たしかに、岸見一郎氏の著書には

「自由とは、他者から嫌われることである」

引用元:『嫌われる勇気』 P.162

とあります。

しかし、次のページにはこうもあります。

「わざわざ嫌われるような生き方をしろとか、悪行を働けといっているのではありません。そこは誤解しないでください」

引用元:『嫌われる勇気』 P.163

決して「嫌われろ」ということではないのです。

あくまで「嫌われることを恐れずに、対人関係に向き合いましょう」というものです。

しかし、残念ながらドラマの主人公は「ただ嫌われる人」に成り下がっています。

他者に配慮もせず、他者の存在を無視するかのように振舞っています。

対話を重視するアドラー心理学とは全く相容れません。

これではアドラー心理学が誤解されるだけ…。

真剣に学ぶ方々から抗議の声が上がるのも致し方ないでしょう。

「課題の分離」についても大事なことを伝えていない

また、アドラー心理学の中でも非常に重要な「課題の分離」についても、ドラマでは最も大事な点が抜けています。

それは著書『嫌われる勇気』のこの部分です。

課題の分離は、対人関係の最終目標ではありません。むしろ入り口なのです。

引用元:『嫌われる勇気』 P.153

他者と良好な対人関係を築くための入り口に過ぎないのです。

ドラマでは、分離しただけでスッキリしたかのような登場人物がいました。

これは誤解を生みます。

課題の分離で完結してしまっては、ただ社会と自分を切り離してしまうだけ。

それではアドラーがめざす理想「共同体感覚」には届きません。

孤立するだけです。

社会的な存在である人間にとって、孤立は向かうべき場所ではありません。

そのようなことをアドラーが説くわけがないのです。

ただ、ドラマの打ち切りだけはやめてほしい

補足
Alexas_Fotos / Pixabay

今回の抗議について「概ね同意」としたのは、結論が少しだけ違うからです。

私はドラマをこのまま打ち切りにしてほしくありません。

このまま終わってしまえば、アドラー心理学が歪んだ形で世間に伝わってしまいます。

それだけは避けてもらいたい…。

きっとドラマをきっかけに「アドラー心理学」「嫌われる勇気」を知る方も多いでしょう。
(視聴率が低いから影響は小さいという意見もありますが…)

アドラー心理学が少しで広まるきっかけを作ってくれたことには感謝しています。

しかし、アドラー心理学を「ただ嫌われる人」の心理学であるかのように表現されることには、残念に思います。

ドラマを続けていれば、今後の展開で説明が足りていない内容を補うこともできるでしょう。

ドラマ制作の方々には、ぜひ頑張ってもらいたいと切に願っております。


『嫌われる勇気』
著者:岸見 一郎、古賀 史健

アドラー心理学そのものは、非常に有益な学びに溢れています。

もし、ドラマがきったけだったとしても、気になった方は本を読んでみてください。

以下の2つの記事でもアドラーには触れています。

天職と出会うためにアドラー心理学を活かせた人の話

仕事論としても秀逸な良書『コンセプトのつくりかた』